院長プロフィール – 福岡市中央区 薬院 肩こり 腰痛|整体 スポーツ障害なら整骨院とくしげ

院長 德重 義雄 とくしげ よしお

院長 徳重義雄

経歴

  • 下関市立下関商業高校
  • 福岡リゾート&スポーツ専門学校 アスレチックトレーナーコース
  • 福岡柔道整復専門学校・柔道整復科
  • 柔道整復師免許取得後、福岡市内の整骨院、整形外科で10年間研修勤務
  • 2008年5月 福岡市南区にて整骨院徳重 開院
  • 2017年6月 福岡市中央区薬院へ完全予約制・自費治療院として移転開院

資格取得

  • 柔道整復師

厚生労働省認定国家資格 柔道整復師 登録番号41039号 德重義雄

厚生労働省認定国家資格 柔道整復師 登録番号41039号 徳重義雄

トレーナー活動

  • 福岡第一高校 硬式野球部(現:読売ジャイアンツ陽岱鋼選手の治療・コンディショニングなど)
  • 高校サッカー 全国高校選手権大会 日本高校選抜代表チーム サポートトレーナー
  • 九州産業大学付属九州高校サッカー部
  • 福岡市立福翔高校 女子バレー部

My Story

山口県下関市の山奥で育ちました

私の出身は山口県下関市です。下関と言えば河豚や海の幸、関門海峡など海をイメージすると思いますが、私の生まれ育った町は下関の一番端っこの山奥にある自然豊かな田舎町でした。両親が共働きだったので、一緒に住んでいた祖父母には本当にかわいがってもらいました。祖父は自宅で木工の仕事をしていたので、祖父の作業場は大好きな遊び場で、ノコギリや金槌の使い方などを教えてくれました。

交通事故に遭い、手術と辛いリハビリの入院生活

私が6歳のときのこと。
12月の寒い日、幼稚園の帰り道に一人で歩いていて、脇見運転の車に轢かれ交通事故に遭ったのです。

「え…!?どうなったの?」

一体何が起きたか分からず、とても不安でした。すると、徐々に右足に強い痛みを感じました。その後、救急車で搬送され病院へ。
「大腿骨顆上骨折(だいたいこつかじょうこっせつ)」という手術が必要な重傷でした。

交通事故に遭ってから手術までの数日間、折れてしまった骨を元に戻すために身動きもできず痛みと不安の日が続きました。幸い、手術はうまくいきましたが、手術後はガッチリとギブス固定されてベッドに寝たきりとなりました。そこから半年間、幼稚園児の私にとって長く寂しい入院生活を過ごしました。春になっても一人では歩けず、小学校の入学式にも母に抱えられて行ったことを今でも覚えています。結局、小学1年生の1学期は入院が続き通学できず、2学期からやっと自分の足で通えるようになりました。しかし、周りよりも出遅れて、一人だけ取り残されていたので、学校は楽しくありませんでした。学校に行くのが嫌で、朝からお腹が痛くなる日もしょっちゅうありました。

そんな時、祖父が学校まで迎えに来てくれることが度々ありました。祖父が大きな手でつないでくれるととても暖かくて、寂しさや不安が消え、とても安心できました。私にとって祖父は、いつも一緒にいてくれて、暖かな無償の愛情で守ってくれる存在でした。今、思い出しても胸の奥がジワ~と暖かくなってきます。

将来の夢は「プロ野球選手」

そうしているうちに、徐々に学校にも慣れることができました。小学2年生の終わりには足もすっかり回復して、体育の授業にも参加できるようになり、友達と走り回って遊べるようになりました。体を動かすことが楽しくなり、祖父と父親に進められたこともあって、小学校3年生から野球を始めることにしました。

身体が大きかったので必然的にポジションはキャッチャー。チームでの練習はもちろん、家でも祖父がバッティング練習用の道具を作ってくれて「プロ野球選手になれよ!」と、毎日付き合ってくれました。そのおかげで、5年生の時には6年生のチームでレギュラーになり、地域の大会で優勝して県大会に出場したのです。祖父も私の活躍を心から喜んでくれていました。

そんな大好きだった祖父が中学1年生の時に亡くなりました。
自分の一番辛い時に守ってくれていた大きな存在がいなくなってしまったのです。悲しくて、悲しくて…悲しすぎて、祖父の死をしばらく受け入れることができませんでした。悲しみは尽きませんでしたが、「プロ野球選手になれよ!」と応援してくれていた祖父への想いを胸に、中学時代、高校時代は、甲子園出場・プロ野球選手になることを目指して、本気で野球に取り組みました。

甲子園優勝をした古豪、下関商業高校へ

高校時代は、野球部の厳しい練習と寮生活での上下関係で本当に大変でした。
1年生の時には、慣れない硬式ボールで体に負担がかかり、中学生の頃から痛みを我慢していた右肘の状態が悪化し、肘が曲げ伸ばしできない状態になってしまいました。

整形外科で検査すると「離断性骨軟骨炎(りだんせいこつなんこつえん)」の診断。軟骨がはがれて肘の関節に挟まっており、その軟骨を除去するための手術をしました。手術後、全力投球ができるようになるまでに1年間かかりました。肘の他にも、足の怪我で2週間入院するなど、高校1年生の時には辛い思い出しかなかったですが、高校2年生の時には先輩方の頑張りで甲子園に出場!残念ながらメンバーには入れなかったですが、甲子園練習でグランドに立たせてもらうことができ、良い経験ができました。

柔道整復師を目指して

高校卒業後は、小さな頃の自分に祖父が私にしてくれたように、「身体の怪我や痛みで心に不安を抱えている人に一緒に寄り添い守れるあたたかな存在になりたい」と思い、柔道整復師を目指しました。

勉強、修行をしていくと、幼少期の交通事故での骨折はもちろんですが、小学生から痛みを我慢して投げていた右肘を手術した時のことも「もっといい治療方法やリハビリ・トレーニングがあったはず…」という想いがどんどん強くなりました。

当時は、現在のようにインターネットで自分の症状を調べられるような環境もなく、整形外科医の診断に疑問もありませんでした。
しかし、もし違う選択肢があったなら…

「野球辞めないといけないの?」
「もう投げられないんだ…」

という、絶望と不安の毎日を過ごさずに、もっと野球を続けられていたかもしれません。

私はこういった経験から、当時の自分のように身体の怪我や痛み、不調で満足に競技や生活ができずに、
「これからどうなるんだろう?」
「元に戻れるの?」
「大好きなことなのに諦めないといけないの?」
という不安を抱えている方に、新たな選択肢を提示できる存在になりたいのです。

あなたの身体と心を守る存在として

あなたの身体と心を守ります"

スポーツでの怪我だけではなく、デスクワークや車の運転など長時間の座り姿勢、家事や育児での負担や人間関係による精神的ストレスなどが原因で、目に見えない様々な症状があるのに、病院で検査しても「異常なし」と言われ、原因がわからずに不安を抱えている方が多くいます。

実際に私の院に来院されていた患者さまにも、今まで普通にできていた仕事や日常生活が思い通りにできなくなり、家族や職場の仲間のために一生懸命な方ほど「なんでできないんだろう?」「私のせいで周りに迷惑かけてしまう…」など、家庭や職場で自分を責めて不安になってしまう方がたくさんおられました。

そのような患者さまの症状や不安に対応できるよう、私は柔道整復師を目指し始めてから施術歴20年を越えた今でも、身体の治療技術だけでなく、心も守れるように学び続け、柔道整復師としての能力、人間性を高めることを追求してきました。

身体の痛み、症状を根本的原因から治療することで、「できなかった事やあきらめていたことができる」と自信が持てるようになり、不安な心もあたたかくなります。
あなたの身体と心があたたかになり、本当の意味での健康な人生を過ごせるように私がお手伝いさせていただきます。

私がお手伝いします

院長 德重 義雄

(厚生労働省認定国家資格 柔道整復師 德重義雄 監修)

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